エジプト旅行記第7話「食、再会、音楽」

Y多さんが連れて行ってくれたところがまた粋なところで、地元ではちょっとした有名なところだった。中は薄暗く細かな装飾に溢れちょっとした洞窟の様だった。アラビア語で熱く歌われているBGMが流れていた。Y多さん曰く、この歌手はとても有名でエジプトの美空ひばりのような方、とのこと。「むむむ、なるほど」と思いつつも店内のアラビアンナイトを髣髴させる異国感たっぷりの雰囲気に圧倒されて言葉が出ない。ただただ興奮。

そこではモロヘイヤスープとライス、そして鳥のモモ肉を焼いたものを注文した。トッピングにはサルサソースっぽいのとオニオンチップ、ドリンクはイチゴのジュース。イチゴはこの時期エジプトでは旬なのだ。食べてみて一言「美味い。」僕は世界で最も美味い食事が日本食だと思っていて、2番目にイタリアンが来る。(あくまでも個人的な感想です)エジプト料理は・・・まさにイタリアンと張るくらい美味い。正直驚いた。

エジプトは農業大国らしい。知っている人が聞けば当たり前のことだが、帰国後会う知人全員にエジプト滞在の話をする際「実はね、エジプトはね、農業大国なんだって」と話すと100%驚かれた。それほどイメージがないのだ。Google Earthで見てみると、なるほど、エジプト北部ナイル川河口にあるデルタ地帯は熱帯雨林の様に深い緑色をしている。また米どころでもあるらしく、品種はなんとジャポニカ米。美味いわけだ。いずれにしても食事が充実しているという事に安心した。「食」は滞在において最も重要なことだからだ。

そんな楽しい昼食を終え次に向かったのが友人宅。カイロ交響楽団首席クラリネット奏者の韓国人ヨンギ君。彼とその奥さんのヒージョンさんは僕らがまだドイツのフライブルグ音大にいた時の同級生。4人でよく遊んでいた。今はそれぞれ子供がいて(ヨンギ君の所は男の子。うちの娘と同い年です)、カイロで再会している。不思議な感じがした。

僕が1人で午前中から練習していた時、奥さんは先にヨンギ宅へ行っていた。今回は僕だけでなく、うちの奥さんもヨンギとヒージョンと共演するのでそのリハーサルもしなくてはならない。両家子供がいるから目を離す事が出来ない。ヨンギ宅でリハーサルをするのはベストなのだ。

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再会を喜び早速リハーサル。学生時代を思い出す。ガーシュイン、ドビュッシー、プーランク、メンデルスゾーン、シュライナー、エルガー、マンガーニ・・・盛りだくさんのプログラム。余った時間で適当に楽譜を見つけては室内楽を楽しんだ。

ヨンギの音楽は何も変わっていない。熱すぎるくらいに熱く一音に魂を込めて演奏する。お互い一生懸命に演奏し、そこには30代の僕らにしか出来ない30代の音楽があった。お互いドイツを去ってからいろんな事があったが、それでも自分を失わず自己の音楽を追求し続けている彼の姿勢が嬉しかった。時には音楽をする喜びを、時にはある種の葛藤を彼の音楽から感じた。

その日の夜、リハーサルを終えた僕らは思い出話に花が咲き、幸せで温かい一時となった。それはまるで小さな灯火がカイロの街に燈ったかような感覚だった。

その時マエストロが到着にホテルに向かっていた。明日、チャイコフスキーピアノコンチェルトのリハーサルが始まる。ホテルへ戻りベッドに入った時、僕の手は少しだけ汗を握っていた。

エジプト旅行記第6話「滞在スタート」

さて、とうとうカイロ滞在がスタートする。

うっすらと目を開けるとそこはホテルの部屋。
エジプトのカイロに来ている事を理解するのに少し時間がかかった。

珈琲を淹れバルコニーに出てみると目の前にはナイル川が広がりうっすらと霧がかっている。
天候には恵まれ、最高の朝だ。そして朝の喧騒が少しずつ聞こえてくる。

「カイロかぁ・・・」と一言。

ナイル川沿いに高層ホテルが並ぶところに位置する我々の宿泊先からは街を一望できた。
とにかく茶系の建物が隙間を許さないほど密集している。東京も凄いと思ったが比ではない。
人々が行き交い、叫び声やら怒鳴り声が聞こえ、片道2車線の道路も気付けば片道4,5車線分の車がひしめき合っている。遠くに目をやっても見えないが、そこにはピラミッドやスフィンクスがあり、サハラ砂漠が広がっていることを想像できた。さらに北に行けばアレキサンドリアがあり地中海があり・・・歴史が見えてくる。エジプトに来たかと実感してきた。今日から10日間ここに住むわけだ。「さぁ、音楽をするぞ」

2月20日、今日から早速リハーサルが開始する。これからの10日間与えられた時間と環境を一番効率よく過ごすためにY多さんという方が同行し通訳をしていただき、さらにはいろんな事を教えてくれた。一眼レフをこよなく愛し、すでに何年来の友人のような感じでとてもリラックスできる方だった。「眠れましたか?今日はこんな予定です。何時にどこどこです。次はここです。ご飯はどうしましょうか?」感謝。

さて、今回はコンチェルトだけでなく室内楽もありソロもある。まずは午前中に1人で練習。カイロ在住のK村さんが快く自宅を提供してくれた。普段ホームコンサートもしているというのもあって、広いリビングには丁寧に調律されているKAWAIのグランドピアノがあった。まずは第1音。カイロの部屋に鳴り響くピアノの音。適度に乾いた湿度と広い部屋には心地よく伸びのある音色が響いた。日本の住宅事情ではこうはいかない。しかし当の住人が不在の中で僕1人そこに居るというのはなかなか緊張するものだ。何か悪いことをしているかのように感じる。いや、別に悪いことはしていないのだけど。

2時間ほどの練習を終え次に向かったのはオペラハウス。5日後にカイロ交響楽団と共演するところだ。そこのリハーサル室でコンサートマスターのヤーセル氏と会う。とても優しそうで非常に好感の持てる方だった。日本には何度か来ており日本食を愛して止まないそうだ。「ウナギオイシイ」と言っていた。彼はコンサートマスター兼ディレクターも務めており多忙極まりなく、ゆっくり話す時間もないので早速モーツァルトのヴァイオリンとピアノのためのソナタk.304を合わせた。これはモーツァルトの作曲したヴァイオリンソナタの中で唯一の単調の作品。激しいドラマはなく常に悲しく寂しくしっとりと、時にふと現れる母の愛のような温かさで救われ、しかし内に秘めた精神的な深さと強さを感じさせる名曲中の名曲。お互いの音楽で会話するように感じ合い、探り、理解し、疑問を持ち、試し・・・あっという間の1時間。多くを語らずお互いの音楽を感じ合い、次回に期待する、それで充分だった。要するにとてもよいリハーサルだったという事です。

「さて末永さん、昼食を食べに行きましょう。地元の人達が良く行くお店です。そういう所は大丈夫ですか?」とY多さん。

喜んで・・・!

この日の夜、指揮の吉田氏が到着する。

エジプト旅行記第5話「エジプト到着」

16時10分無事カイロ到着。長かった。日本との時差は7時間だから体内時計は夜の23時10分。2月18日の昼13時に家を出て、19日の(日本時間)23時10分に到着したのでdoor-to-doorで言えば所要時間約34時間。次回行くときは是非直行便で行きたい。

さて、これからカイロ滞在のお話が続くわけだが毎日スケジュールが詰まっていてとにかく忙しかった。おかげで体重が滞在中だけで4,5キロ痩せた。

カイロ国際空港到着後、カイロ公演企画中心人物の1人N氏が空港で出迎えてくださり車でホテルへ。そこで末永家は10泊するわけだが、こんなに長いホテル住まいは初めてだ。

ホテルに到着するや目の前には機関銃を装備した軍用車が警備している。それは立派なホテルで僕が今まで泊まったホテルの中で最もグレードの高いホテルの1つだろう。ジムやスパ、ショッピングモールなどをはじめあらゆる施設が中にあり、併設されているツインタワーには世界の一流企業のオフィス群が入っている。屋上には(屋外)プールもありそこからカイロの街を一望できる。と言ってもさすがにプールに入るほど暖かくはなかったので結局一度もそこにはお世話にならなかったが。

このような立派な場所で過ごせることは非常に恐縮だが、これから始まる怒涛の日々を、体調管理を含め問題なく最後までこなし無事に帰国の途へつかなければならないことを考えると、ここは与えられた環境を充分に使わせていただこうとも思った。感謝である。いずれにせよリラックスできる場所があるというのはとても重要なことで、だからこそ一つ一つに集中できるというものだ。

さてさて、ホテルの部屋に荷物を置き上階にあるラウンジへ。今回は国際交流基金がバックアップしてくださっており、N氏ご夫婦、交流基金のF氏の皆さんと今後についての打ち合わせ。ホテルのこと、日々のスケジュールの詳細、移動方法、リハーサルの時間や場所、いざという時の連絡方法、関係者の説明・・・全てがとても大切なことで一生懸命に聞いて理解しようと努めるが面白いくらいにその内容が片方の耳から流れ出てしまう。「ガンバレタダシ」と心の中で強く思えば思うほど疲労と睡魔に蝕まれていく。隣では娘がキャーキャー言っている。

ホテルの部屋も(勿論)とても立派で、これからの10日間を快適に過ごすため、トランクから荷物を出し部屋のあるべきところに配置していく。僕と妻は淡々とその作業に没頭し、娘は部屋にいたるところにある鏡に興味津々で、鏡にうつっている自分自身に語りかけている。ようやく末永家就寝。明日のことは明日にならないとわからない。
そんな気持ちだった。(次回は「リハーサル開始」)

エジプト旅行記第4話「ドーハ」


ドーハ・・・

「世界で最も退屈な街、しかし今大きく変わろうとしている」
��地球の歩き方’12~’13ドバイとアラビア半島の国々 P.238より)
ドーハに到着した末永家に与えられた時間は約8時間。朝5時にドーハ空港に降り立ちまず驚いたのは人の多さ。「今朝5時なのか!?」と疑うほどラッシュ感満載。しかし空港から見える外の景色は一面砂っぽく四角い家。いわゆる勝手に想像している中東 な感じ。(カイロのモスクには到底及ばないが)日本から来た僕らにしたら「世界で最も退屈な・・・」と言われてもテンションが上がる要素は充分にある。

僕は去年に続き2度目のドーハ経由だったのである程度の「慣れ」はあったにせよ、プルプル震えるほど興奮を隠しきれてない妻を横で見るとこっちも同じくらい楽しくなってくる。「どうするどうするぅ!?」こうなると中学の修学旅行で行った京都&奈良での自由行動の時とそう変わらない。そんなもんだ。楽しい人と一緒に居ると楽しくなる。

さて、小さい空港ゆえに時間つぶしができないとなるとやることは1つ。「空港脱出」
出国ゲートに向かいビザを発行してもらって街に出れる。
ビザ発行の際に・・・

係りの人「宿泊はどこだ?」
末永「宿泊はしない」
係りの人「どういうことだ?」
末永「我々はカイロに行くんだが、乗り換えの時間が長いのでその間街に出たい」
係りの人「乗り換えの時間の間だけ街に出たいだと?」
末永「そうだ」
係りの人「どのくらいだ?」
末永「せいぜい3時間程度だろう」
係りの人「3時間程度のためだけに街に出たいのか?」
末永「そうだ」
係りの人「ちょっと待て。宿泊なしでしかもそんな短い時間の間だけ街に出るということか?」
末永「そうだ」
係りの人「そのためだけに(ビザの)お金を払うのか?」
末永「そうだ(こっちの勝手だろう)」
係りの人「・・・」
末永「・・・」
係りの人「(呆れた顔で」クレジットカードを出せ」
末永「・・・(クレジットカードを出す)」

っとまぁこんな会話があり、呆れられた僕らは子供一緒に3人で街に出た。テンションが高い僕らはこんなことじゃめげない。意気揚々と街に繰り出した。

カタール・リヤルに換金してタクシーに乗りいざ街の中心へ。「フィフティー(50)」と「フィフティーン(15)」を聞き間違え、タクシーでは50払った。呆れられた後にこのイージーミス。楽しいはずの旅に少しずつ暗雲が立ち込める。
スーク(いわゆる市場。ここではアラブ風の市場)を目指し地元の人たちがどのような場所でどのような物をどのように売買してるのか、その生活の一端を感じたく目指したのだが、来てびっくり。お店はほとんどどこも閉まってる。時間が早すぎたのだ。2度目のイージーミス。立ち込めた暗雲は確実に末永家のテンションを下げ始める。

ほとんどが開店前のスークを歩き回り、とはいっても途中雰囲気のあるオープンカフェがあったのでそこで休憩したりレストランに入り食事もとった。結構美味しかった。

(当たり前だけど)アラブ風白装束を身にまとった人たちを多く見かけ、映画のセットの中にいるような感じだった。「僕らは家族でこんなところで何をしてるんだ?」と不思議に思ったりもした。昼前にはちらほらと旅行客も見え始めなんとなくホッとした。日本人は我々だけだったが。やっぱ短時間だけ街に出ることは呆れられてしまうことなのだろうか・・・?ちゃんとしたタクシーを見つけ無事空港に戻ると家に戻ってきたような安堵感。カイロまであと一歩。
頑張れ娘よ。(次回はとうとうエジプト到着!)

エジプト旅行記第3話「そしてエジプトへ」

「むむむ?何かにおうぞ?何か変なにおいしない?」
「そうかしら。後ろにトイレがあるから・・・」「そうかなぁ。にしては近い・・・むむむ!?」

こんな会話が始まったのも大泉学園を成田行きのバスに乗り1時間ほど経ったあと。娘のウ〇コが犯人だとわかった今、お客が乗ってる中オムツを変える事もできず、最前列に座っていた僕らはただただ成田空港につくまでの間、このにおいと共にすることを決意しました。乗客のみなさんごめんなさい。そして運転手さんもごめんなさい。絶対に気付いていたと思う。

さて、無事に成田空港に着いたあと、カウンターでベビーカーを借り、海外旅行保険に加入し、なんやかんやであっという間に時間が経ち何か食べようということでお茶漬け屋さんに入りました。なかなか美味かった。けど高いよね、成田空港って。 出国も無事済み免税店で奥さんは楽しそうにしているので僕は・・・。なんて細かく書いてるといつこの旅行記が終わるか不安になってきたので話を飛ばします。

場所は機内。成田空港は夜9時台のフライト。娘にとってはじめての飛行機ではじめての加速にかかる重圧を体験し、はじめての幼児用のシートベルトを締めすべてが初めてづくし。そして0歳児の子供を連れての家族旅行も初めて。これから十何時間の大冒険が始まるわけだが「さて!」と思ったすぐに関空へ着陸。そうです。関空経由でした。機内で2時間ほど待機してました。

そこまではほとんど乗客がいなく「よし。座席を使いたい放題だ。よかったね、あとで後ろに・・・」と話していたらいきなりものすごい人の数が機内になだれ込んで来てあっという間に満員。僕らは前列の左側3人席の窓側2人分の席でしたが、もちろん僕の右隣にも人が乗ってきました。仕方ないですが。
さて、関空出発。時間は夜中の1時ごろです・・・。関空を出発してからというもの夜中に関わらず娘のテンションは下がることを知らず全てが興味深いのか落ち着きがない。機内食も無事済ませ普通ならそこで「さて映画でも♪」となるんだが子供がいるとそうは行かない。けど空港にしても機内にしても子供に優しいですよね。登場するときは優先させてくれるし、子供用のベッド(バシネット)もある。ベビーフードもあるしおもちゃもくれる。至れり尽くせりです。ありがとう、カタール航空。
勿論南回り。ヒマラヤ山脈を横断してるころ娘はとうとうぐずり始め、隣に座っていた子供好きのアジア系カタール人の女性が抱っこしてくれたおかげで助かりました。こういうコミュニケーションっていいですよね。途中ちょっとはベッドで寝てくれたので(本当にほんのちょっと)その間に僕は奥さんと後ろに行きカップラーメンやらサンドイッチやらを貪り食ってました。このカップラーメンがやたらと美味く、あれは確かカタールのものだったと思います。ちょっとスパイシーで・・・あ、またこんなに細かく書いてると終わらなくなる、ってことでこの辺で。


結局カタール着くまでほとんど一睡も出来ずとうとうカタールのドーハ空港に到着。朝5時半。髪の毛はべったり、コンタクトは浮きまくり、体は重く、わけがわからない。けど、中東の雰囲気ありまくりでテンション上がりまくりの末永家。ではまた次回!

エジプト旅行記第2話

「娘のパスポートも取ったし・・・」と着々と準備を進めるが忘れるものは必ずありますよね。この時は全然気付いてなく後になって「!」と気付くのですが。最近の海外旅行の準備で「いいな」と思うのは変圧器が必要じゃないこと。重さも場所もとってましたからね。楽です。あとEチケットも。

この期間は遠足を控えた小学生の様な気持ちで準備を楽しんじゃうしそのノリでユニクロで鍵盤のロゴが入ったTシャツ買っちゃうしで完璧に浮かれてました。けどいいですよね、たまには。ちなみに購入したTシャツは背中には変なデザインがいっぱいに描かれていて、これはエジプトに来てホテルに着替えて初めて気付きました。恥ずかしくてもう着れません。

さて、とうとう2月18日、不備はないか確認した後奥さんは娘をおぶって僕は荷物を背負い出発。大きいトランク2つ、小さなトランク1つ、楽器、かばん、ママバックは運動不足の僕にはかなりきました。車に押し込み実家に寄って親を乗せ大泉学園駅へ。所沢なのになぜ大泉学園か?これは成田行きの高速バス所沢発が時間の遅すぎるせいかすでになかったからです。もう少し本数増やしてほしいですね。早めに出ればあるんだけどそれで行くと空港で5時間待たなければならない。関空経由、ドーハ経由、ドーハの乗換えでは8時間も過ごさねばならないのに成田空港で5時間なんてありえませんよ。よってちょうどいい時間のバスがあるところを探したら大泉学園だったっていうお話。

無事バスに乗り込み家族全員不思議なテンションに。「本当にエジプトに行くの?」

0歳児の娘ははじめバスに緊張していたけど10分後には絶叫を上げテンションマックス。この時は、この辺で力を出し尽くして飛行機では寝てくれるだろうと思っていました。けど実際は・・・(第3話へ)

エジプト旅行記第1話

久しぶりの更新。嬉しいことに毎日誰かが見てくれている。旅行記となると情報量もたくさんなので時間をかけて何回かに分けてアップします。その間に何が起こったか忘れなければいいけど。前回1人でエジプトに行ったときのことは結局アップしていないし、これは猛烈に反省。ゴメンナサイ。

さて、先月2月「Remembering the Great East Japan Earthquake and Egyptian Revolution」の名の下に催された演奏会のためエジプトの首都カイロに行ってきました。今回は1人ではなく奥さんと娘の家族3人です。僕はオペラハウスと日本大使館と日本大使公邸での演奏会。奥さんは日本人学校と、カイロで頑張っておられる日本人の方々のためのホームコンサート、そして大使公邸で演奏会。

この辺は追々書くとして、今回約10日間の滞在中、コンサートのスケジュールをはじめいろいろとご招待を受け、そして娘(0歳)の初海外、家族で旅行するのも初めてで一体どうなることやらと、ましてやこの過密スケジュールの中どうなってしまうの!?とその時になってみないとわからない、「えーい行ってしまえ!」と半ば勢いで日本を飛び出したけど、とにかく色々ありすぎてふと気付くとこんなにも一文が長くなってしまうくらいのものなのでした。末永家珍道中、異国、出会い、感動、不安、主催者側の関係者総出で「何!?0歳児の娘も来るのか?そう来るなら受けて立つ!」と言わんばかりの超強力サポート騒動、そして演奏会について全100話ぐらいのペースでのんびりアップしていきます。こうご期待。