即興について

僕は以前、即興が大の苦手だった。だからと言って今が得意であると言うわけではない。が、楽しむ事は出来る。

その「即興を楽めるようになる」チャンスを与えてくれたのは、僕が桐朋学園に在籍していた頃、府中のアパートの隣に住んでいた1人の先輩のおかげだ。

当時「即興でオンガクを」と言う名のラジオ番組をプライベートで作成していた。司会者、演奏者、お題を出すゲストがいる。

司会者が番組をスタートさせる。「こんにちは、即興でオンガクを、の時間がやって参りました…」そして演奏者とゲストを紹介。ゲストは即興のお題をを出す。「今回のお題は…獣に追われ必死に逃げ惑う(桐朋学園の)◯◯先生」

演奏者は徐にピアノの前に座り"それ"を即興で表現する。

雰囲気は仰々しいが、言っている事がふざけていて、しかもそれを真面目に言うのだから笑ってしまう。しかし笑ってはいけない。堪えなければならない。なぜならこの「即興でオンガクを」は録音されているからだ。しかもDATで。

初めてのそれに誘われて参加した時は何も演奏できなかった。1音も鍵盤を押す事が出来なかった。あの時の感覚を今でも鮮明に思い出す事ができる。

しかし、ユーモアをもって先輩が背中をゆっくり押してくれた事もあり、何となく出来るようになって来た。笑ってもらえた時は凄く嬉しかった。

「恥」が全てを頑なに強張らせ拒否させてたんだと思う。「出来なくてはならない」「音楽理論」「間違ってはならない」「認めてもらわなければならない」等、あらゆるしがらみが想像力を深い谷底へと押し込んでいた。

…結局、1音でも即興は即興である。何かを表現していればそれは充分に即興されている。「何も表現していない」事を表現していてもそれは立派な即興。

もちろんいろんな即興があるが、例えばベートーヴェンっぽいとか、ジャズっぽいとか…。しかしそれだけではない。即興とはすなわち自己を開放させる事にあるのだ。そして対人に、もしくは空間にコミュニケートする。その瞬間即興は生き生きし最高に楽しくなる。最高に笑えて最高にシリアスになれる。それらを誰が否定出来る?

そして即興とは即興演奏だけに必要ではなく、普段僕なんかがしているいわゆる「クラシック演奏」にも大きな影響がある。それは「即興演奏」ではなく「即興的」であるという観点だ。

以前ドイツでベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏した時に、後日新聞にレビューが載った。そこには「…即興的芸術性豊かな…(省略)」とあった。

即興とはその瞬間にしか生まれないものであり、要するに「今」そのものだ。そしてそれはその瞬間に命を与える温かい血液となって音楽、または音楽空間に生をもたらす。即興的と言うのは「生きた音楽」であると僕は断言したい。

モーツァルトを弾く時だってベートーヴェンだってどれも同じ事だ。ブラームス、リスト、ラヴェル…時を遡ったらバッハだってスカルラッティだってそうだ。時にはそのまま即興演奏される事も多々あるが、どの時代のどの音楽も「生きて」いなければならない。音楽とはまさに生を実感出来るものでもある。

即興で遊ぶ事がいかに自己の開放や音楽性に影響するか…。

そんな事を思う今日この頃である。僕は毎朝ピアノに向かう時「さて…今日の僕の手はどんな風に鍵盤を歩くのだろうか」とワクワクしている。時にはいい感じだし、時にはダメな感じ、時には変な感じだ。だから即興は面白い。

Art at Tokyo tech!

素晴らしい時間だった。東工大がArt at Tokyo techという名誉あるアートイベントの中で【末永匡ピアノリサイタル】を企画してくださった。プログラムの中にはサックスとのデュオもあり共演は大石将紀さん。最高だった。



結局2時間20分と当初予定していたよりも50分オーバーとなってしまったが、過ぎてしまえばあっという間。ただただ楽しく、そして心の底から興奮した。こういう本番は滅多にない。

ピアノは約100年前のBechstein。タッチやアクション、ペダル、響き等はどちらかと言うとフォルテピアノ(モダンピアノの前身)寄りだが、限りなくモダンピアノに近いフォルテピアノのようなモダンピアノと言ったほうが正しいかもしれない。また、もの凄い種類の音色を表現できるので、演奏すると言うよりもコンサート中「演奏しながらその造形を楽しんでいく」感覚だった。もしかすると音色の量は普段僕らが耳にしているモダンピアノ以上かもしれない。失われていった古の音色・・・。これがヨーロッパピアノの底力なのか!ここまで調整してくださった調律師さんに深く感謝。

そして、なんとコンサート開始直前(開始10分前ぐらい)にサックスの大石さんから「即興入れますか?」と打診。

興奮した。震えるほど興奮した。リハーサルもなし、大石さんとの即興は一度の経験もなし、10分後に始まる本番が初めての即興共演。そして僕にとっての初めての本番での即興。アドレナリン出まくり、瞳孔開きまくり・・・脳が開いている、そんな感じだった。今後も是非ともトライしていきたい。

2人とも車だったので打ち上げではビールを想像しながらコーラを。

自分のブログでこんな事を書くのは恐縮の極みだが、あまりにも素敵なコメントを頂戴したので紹介させていただく。

「全てを忘れてこの時間を大切に心にしまっておきたい。他の何もかもを心にいれたくない。このコンサートの時間だけを…」

僕らは皆さんに支えられている。全てに感謝。

仕事の環境



大学のレッスン室にCDと本などの資料を置けたらいいなとつくづく思う。録音とか本などの資料の話題は必ず出るし、何よりも勉強になる。その場で「あーだこーだ」ディスカッションする事がいかに大切なことか。

個人的なことだけど電気ケトルも置きたい。コーヒーなり紅茶なり飲めるとなお嬉しい。レッスンは沢山動くし話しまくる。飲み物くらい飲みたいですよ。

留学中の心温まるエピソードと言えば、レッスン中先生が話しながら紅茶をいれ、淡々と音楽の話をし、静かに流れるあの時間が良かった。レッスン自体の雰囲気も良くなるし集中力も増す。

心地よい空間で音楽を感じたい。これは決して贅沢ではない。

日本で生活していると未だに「我慢は良」「快適は悪」的な空気があるのがとても嫌だ。出来る範囲で快適な空間を作ればいいのにと強く思う。快適な空間、ユーモアに溢れた空間、想像力を刺激する空間、ここに居たいと思う空間・・・そういうところがいい。

話が少しずれてしまったが・・・。

勿論、大学には図書館もあるし自販機もある。しかし、実際レッスンをしていると余程の事が無い限りそういうところに行ける時間が全く無い。という事で明日の朝は美味しく珈琲が淹れられますように・・・

Bill Evans

素晴らしい音楽にジャンルは関係ない。
とにかく「心に浸透する」ものがほしい。

これはある知人から教えてもらった。
ここまで聴き続けてしまうのは久しぶりだ。
すでに何回聴いただろうか?

聴けば聴くほどその世界観への興味が膨れ上がり抜け出せなくなる。
そして色々なものが見え、聞こえてくる。

ピアノを練習している時も同じで、何度も弾けば弾くほど「見えて」「聞こえてくる」のだ。

そしてそれは無限であり、興味が尽きることはない。

魅力の1つだ。

1人の時間に…

珍しく家で1人でいる。こんな事は滅多にないので、此処ぞとばかり普段過ごしたいと思っている通りに過ごしてやろうと決めた。

基本的に暗く静かな環境が好きなので、家の中はもちろん暗く静かである。

静かに音楽をかけ、静かにコーヒーを淹れて、静かに物思いにふけ、静かに時を過ごす。これが僕にとって理想的な過ごし方だ。

考え事とは、同時にある種の答えを探している事とも思うのだが(少なくも僕の場合はそうだ)不思議なことに、せっかく1人の静かな理想的な時間を得たというのに答えなんておろか、色んな考え事が出てくる。

無尽蔵に湧き上がるその「考え事」に埋れてしまいあっという間に、静かな時間は過ぎ去って行く。

僕が過ごしたいと思っている理想的な姿はこんなものだったのか!?と肩を落とすのだが、結局こんなものなのだろう。

・・・今日はドビュッシーを弾いても感覚のピントがなかなか合わない。そんな日もある。しかしそれでも弾き続けなければならない。

暗く静かに珈琲を飲むのとは違うんだ。

Brahms

ブラームス作品116は好んで演奏している作品の1つです。これは2008年、東京文化会館でのコンサートのライブ録音。僕の師でもあるデトレフ・クラウスとの思い出が蘇ります。素晴らしい時間でした。いつか先生との思い出話もブログにアップしたいとも思います。


ムーミン谷

リハーサルの休憩、気分転換のために車を走らせると、気が付いたらムーミン谷に辿り着いた。

場所は飯能。入間川の畔、駿河台大学の近く。今回はリハーサル中だったので時間がなかったが、次回はお弁当でも持って家族としっかり堪能したい。

なぜ飯能にムーミン谷があるのかわからないが、個人的にはとても嬉しい。

フィンランドと言えばムーミン。
我々はフィンランド航空をこよなく愛し、ヨーロッパから帰国する際は頻繁に利用していた。

しかしフィンランドには一度も降り立った事がない。要するに行ってみたいのである。

P.S.目の前にある入間川では是非とも釣りも楽しみたいですね。