音に寄り添う夜

家族は夢の中。

夜もさらなる闇に覆われる深夜1時を回る頃、1人ピアノのある部屋でワインを少しずつ飲みながらブラームスのピアノ協奏曲1番第2楽章を静かに聴く。1976年テル・アヴィヴでの録音でピアノはルービンシュタイン、指揮はメータ、オケはイスラエルフィル。

先日の本番の興奮も抜け切らぬ中、朝から音大でレッスン、空いたちょっとした時間に練習、夕方から東工大でいつもの講義を。今日はグループワーキングで「感動」についてディスカッションとプレゼン。夜は素晴らしいコンサートを聴きに代々木上原へ。

遅くに帰宅したが妻は夕飯を作って待っていてくれていた。二人で今日の出来事を語らう。子供達も元気だったことを聴く。既に寝室では子供達は深い眠りの中にいる。2人の寝顔を見て安心する。

…さて、次は明後日のコンサート。音に自分の全てを捧げよう。

練習での3つの覚悟

先日は朝からレッスン詰めだった。ある学生とのレッスンは、ここ数年内で最も逆鱗に触れた心乱れる時間となってしまった。僕自身反省すべきことが多くある中、それでも生徒に解ってほしいと切に願う事がある。(勿論願うだけでは伝わらないのだが)

「ピアノを上達する」ためには必ず通らなければならないステップがある。「楽しく」という受け身の姿勢だけでは乗り越えることはできない。「楽しむ」という自身からの積極的なアプローチも同じく必要。楽しさが解らなければそれを解るまでやり続ける。隠れているある種の「真実」にタッチするまで苦難の道を歩まなければならない。「楽しい」という言葉でその「真実」を隠してはいないだろうか?どんなに苦しい道のりでも、その先に見える絶景の頂上がある限り僕らはそれを信じ続けなければならない。しかし苦難の道と言っても、それは本当に単なるただの苦難の道なのだろうか?漠然とした言い方だが、要は「中途半端な気持ちでは事を成すことは出来ない」そういうことだ。


先日のレッスンで核となったポイント「練習での3つの覚悟」を備忘録としてここに記したい。

① この作品を弾けるようになるんだ!という自分を信じる揺ぎ無い気持ち「断固たる決意」

② 例えばメトロノームの使用、またはリズム練習など様々な練習法があるが、それらを甘えや油断を決して許さずチェックする「厳しい判断」

③ 悩んだり考えたりするのは結構。むしろ闘い続けてほしい。しかし先に進むための最終的な一歩は、ピアノに向かい弾くことでしかそれは生まれない。逃げずピアノに立ち向かう「勇気ある一歩」



練習とはある意味自分との闘いである。強い自分、弱い自分が露呈される。その現実を正面から受け止める事が出来るか試される。とても厳しい世界だが、それはピアニストに限らず、音楽家に限らず、スポーツやあらゆる分野でも同じことが言えるのではないだろうか。

厳しいが、その先には「それ以上」の感動があるのも事実。