親子会話

お風呂で…

長女「パパ、わたしはね、パパと夢の中で会いたいと思っているの」

僕「いいね、会おうよ」

長女「リンゴが100個と栗が110個の森に行くからちゃんとついてきてよ?」

僕「リンゴが100個と栗が110個かぁ、何か凄い森だね」

…さて、今夜はどうなることやら。

公開マスタークラスを受講して

受講後、小山実稚恵さんと

小山実稚恵さんのような偉大な音楽家にレッスンを受けるということはどういうことなのか?このイベントを知ったとき迷うことなく「受講したい」と思った。そこには年齢や立場などを気にすることは全くなく、純粋に「教えを請いたい」その一心だった。小山さんのような方が音楽に対しどのように考えや思いを巡らせているか、その一端でもレッスンという場で体感できることは大変貴重な機会。

受講曲目はベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」第一楽章、オーケストラピアノ伴奏は作曲家でもありピアニストでもある加藤真一郎氏に依頼した。「皇帝」はこれまで東京交響楽団をはじめとするいくつかのオーケストラと既に共演させて頂いた。個人的には「皇帝」に様々な経験と思いがある。この作品は僕にとって中心に位置する重要な作品であり、今もなお多くのことを僕自身に問いかけ続けている。だからこそ今一度偉大な音楽家にレッスンを受けることは大きな意味があった。

公開レッスンでは、小山さんがレッスンで発した幾つもの言葉の意味だけが大切なのではなく、声のトーン、振る舞い、間、など様々な要素が、伝わるべきものにさらなる多くの意味を含ませていた。それらを間近に感じ、音楽を通して共感共有できたあのひと時は何にも代え難い時間となった。その中でも最も印象に残った言葉が次の言葉だ。

「その音に命を吹き込んで…」

僕はあの時間「感動し続けて」いた。カラヤンがベルリンフィルとのリハーサルで「その4つの音に命を宿して」という言葉を残しているのを思い出した。音…命…漠然としつつも本質に触れるこの「イノチ」という言葉。全ての音に、全ての流れに、全ての和声や響き、そして沈黙に小山さんは命を吹き込んでいた。意識を隅々まで行き渡らせるその集中力、隙の無さ、あまりにもその瞬間にあらゆるものが含まれている所謂「生命力に溢れた」音楽は僕に言葉にならない衝撃を与えた。

目をつぶると今でもあの時の緊張感を思いだす。決してコンクールや試験のような緊張感ではなく、どんどん命が吹き込まれ満ち溢れていくあの心地よい緊張感。突き動かされるようにこの公開マスタークラスに参加したが(それでもかなりものを想像していたが)圧倒的に想像以上のものだった。小山さんの見つめる先に何があるのだろう…とふと思う。月並みな言い方だが、それでもやはり「音楽の素晴らしさ」そして「探求の素晴らしさ」を改めて強く体感した時間だった。この時間を決して忘れることはないだろう。

お申込みありがとうございます♪


1月16日(土)ユーロピアノ主催「音楽性を豊かに引き出すレッスン」はお陰さまをもちまして全枠お申込み頂きました。是非、聴講にもいらしてください。また、さらなるご希望がある場合、一定の人数に達しましたら別日を設ける予定とのことです。ご興味ありましたら引き続きお申し込みください!

【公開レッスン】


お陰様で先日のコンサート&公開レッスンに非常に多くの反響を頂いております。ありがとうございます!

来月1月16日(土)入間市は武蔵藤沢駅前にある武蔵ホールで公開レッスンが再度予定されています。10:00〜19:00、残り2枠です。公開、非公開、聴講など様々な形で選択可能です。今回は「音楽性」に特化したレッスンとなります。指導者の方はもちろん生徒さんや、(聴講では)親子でもぜひご参加下さい!

【武蔵ホール】
04-2962-5668
muh@euro-piano.co.jp

公開マスタークラスの時間になど

明日16日に控えている公開マスタークラス。公開レッスン自体は18:00〜始まりますが、末永の出番は最後の20:00〜です。20時より少し前にお越し頂いても入れます。楽譜(ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」)をお持ちの方はご持参されることをお勧めします。一体どんな時間になるか、僕自身とても楽しみにしています!

残席はございます。是非お越しください!

12月19日(土)トークコンサート&公開レッスン&懇親会♪

コンサート&公開レッスン
12/19(土)11:00〜入間市は武蔵ホールでトークコンサートがあります。「クリスマストークコンサート」と銘打っていますが、いわゆるクリスマス作品を演奏するわけではなく(ある程度の関連曲はありますが)ベートーヴェンの悲愴ソナタはじめ、ショパンエチュード、シューマン、ドビュッシー、リストと王道のプログラムです。

~プログラム~

L.v.ベートーヴェン
エリーゼのために 
ピアノソナタ 第8番 作品13“大ソナタ悲愴”

R.シューマン
トロイメライ

C.ドビュッシー
月の光

F.ショパン
練習曲より
作品10-12 「革命」
作品25-1 「エオリアンハープ」
作品25-7

トークコンサートなので色々と話します。トークはもともと苦手ですが、それにも関わらずご要望が多いので不思議なものです。主催者様にも苦手であると毎回伝えてあるのですが・・・。イメージとしては「まるで自宅のようにリラックスしながらピアノを囲み、いろんな話をしながら音楽を楽しむ」なので、途中皆様とのやり取りの時間も充分に確保し、思い切り楽しみたいと思います。主催の関係者曰く「質疑応答」なども行いたいとのこと。どんな質問が来るか楽しみです。

さて、今回の使用ピアノはベヒシュタインのフルコン(フルコンサートグランドピアノ)。武蔵ホールは降り注ぐような響きが特長。ぜひ音色のシャワーを浴びにいらして下さい。場所は西武池袋線武蔵藤沢駅の目の前、長閑なところです。

コンサート後は公開レッスンを3人、こちらも是非ご参加ください。様々なお客様が来られるかと思われます。中には作品を勉強するために、そして末永のレッスンの様子を、またクラシックのレッスンとはどういうものかを知りたい方・・・それぞれの楽しみ方で「公開レッスン」なるものをご堪能いただければと思います。さらにその後は懇親会があります!皆様との出会い、そして個人的にお話しできるのを楽しみにしています!残席はまだあります。気軽にご連絡ください♪

P.S.当日は地元のテレビ撮影も入る予定です。

【お問い合わせ先(メールでの問い合わせをお勧めします)】

04-2962-5668(火曜日定休)

muh@euro-piano.co.jp (担当:白水)

12/16(水)18:00〜公開マスタークラス


来週の水曜日(12/16)18:00〜、日本を代表するピアニストの一人、小山実稚恵氏による公開マスタークラスがサントリーホール(ブルーローズ)で行われます。受講生のプログラムは全員ピアノ協奏曲。伴奏はピアノによるものです。

末永も受講生として参加します。細かな理由はさておき、この年齢でこのようなものに参加できることに光栄に思います。学び続ける気持ちは持っていたいものです。

もちろん学生たちに混じりオーディションを受けました。久しぶりに「審査される側」だったのでとても緊張しましたが、無事合格し受講の権利を与えられ良かったです。

学生時代ドイツの古本屋で手に入れた皇帝のスコア。8マルク。

末永の受講曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番「皇帝」第一楽章、オーケストラピアノ伴奏はピアニスト/作曲家の加藤真一郎氏です。

このマスタークラスはいわゆる「公開レッスン」です。ピアノレッスンが公開されます。未就学児以外どなたでも聴講可能です。「小山実稚恵氏によるレッスン」「皇帝を勉強されている方」そして「末永がレッスンを受ける様子」にご興味ございましたら下記までご連絡ください!


【聴講チケットについて】

「末永に直接」または「主催の日本演奏連盟まで」ご連絡ください。

Eメール(末永)
tdsuenaga@gmail.com


日本演奏連盟URL
http://www.jfm.or.jp/concert/?m=detail&l=3&d=875

ピアニストから見たNo.9-不滅の旋律

台本
これはあくまでも末永という1人のピアニストが思い、感じたことです。

あの舞台が終わってから3週間が経った。今でも目を瞑るとあの時の興奮が蘇る。稽古を含め約2ヶ月半。「長かったかもしれないが短かった」とも言えるし、「あっという間だったが長かった」とも言える。ようやくこのことについて書けることに嬉しく思う。舞台が終わってから今日までコンサートとレッスンなどであっという間に時は過ぎてしまった。今は大阪でのソロコンサートを終えて東京に向かう新幹線の中。窓の外は時々見える街の控えめな明かり以外何も見えない。ずっと写っているのは窓を見つめている自分。その表情は満足している感じとは言えない。けれど疲れている感じでもない。思うことがあり何か言いたげ、そんな目をしている。って自分のことを書いてて恥ずかしいけれど。

さて、普段僕はコンサートを中心にレクチャー、音大、講義、執筆などで活動している。今回のような舞台の仕事はこれまでしたことがなかった。要するにNo.9は僕にとって初めての舞台の仕事だったということだ。

やる事なす事全てが初めての経験だった。「なぜ舞台関係者は何時に会ってもいつも"おはようございます"なのだろう?」これが初めに思った疑問だった。この疑問はもちろん今もなお腑に落ちるところまで解決されていない。しかし不思議なものだ。その場にい続けると自分が時間に関係なく普通に「おはようございます!」なんて言ってる。

Ludwig van Beethoven

舞台のテーマはベートーヴェン。そう、日本全国の小学校の音楽室に貼ってあるあのベートーヴェン。(全ての小学校かどうかは正直わからない)あの険しく鋭い眼光で教室を見渡しているあの彼。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。

ベートーヴェンの第九を軸に様々なドラマが繰り広げられていく。脚本は中島かずきさん、演出は白井晃さん、そして音楽監督は三宅純さん、キャストは稲垣吾郎さん、大島優子さん、高岡早紀さん、長谷川初範さん、田山涼成さんを始め、全15名の錚々たるメンバー。

ピアノはバンダでもなくオケピでもなく、舞台下手に2台上手に1台のアップライトが置かれそこで演奏する。当初はどんな感じになるか皆目見当つかなかったが、毎日の稽古の中で少しずつ試しながら作り上げられてきた。

稽古は本当に貴重な経験だった。白井さんの投げかける言葉、行動、導き方はまるで指揮者のようであり、クラシック音楽のリハーサルを見ているようでもあった。「創ること」…そこには芝居だの音楽だの、その差は存在していなかった。また、美術や舞台スタッフ、制作の方々のことも注視し、耳を澄ました。動き、言葉掛けなどあらゆる事が、大きな歯車を動かすことのできる高品質の潤滑油のようだった。だからこそ僕は耳と目を最大限に集中し、学べるものは全ての学んでやろう、そんな気持ちで臨んだ。結果から言うとその姿勢は正しかったと言える。あまりにも、あまりにも多くを学んだ2ヶ月半だった。

…なぜ今、舞台のことを書こうと思ったのか。それは一ピアニストととして活動している中、No.9の仕事は新鮮だっただけでなく、ある意味不思議な立ち位置として僕の中に存在しているからである。



…No.9は終わった。


…しかし本当に終わったのだろうか?





……


………


思い浮かぶ言葉に素直になって記したい。

No.9は終わっていない。始まってすらいない。いや、もう少し正確に言えば、すでに始まっていたことであり、それはまだ続いている、と言える。

「喜劇は終わった。だが音楽は終わらない」

この言葉は僕にとって正に今回の舞台の代名詞になっている。「ベートーヴェン」という子供の頃から常に一緒だった作曲家、音楽。それは僕が死ぬまで共にあり続けるだろう。そして今、僕は舞台の有無に関係なくベートーヴェンに取り組んでいる。要するに、今回の舞台は僕にとって「すでに始まっていたベートーヴェンの取り組みの中に含まれているもの」なのだ。「あらゆる角度から人物や作品を覗く」この姿勢は研究にとってとても大切である。今回の舞台は仕事の種類で言えば初めてだったが、ベートーヴェンの研究というところから見れば「その方法の一つ」ということになる。

だから今、舞台が終わり3週間経った今でも「あー舞台が終わった!」と感じていないのだろう。実際に舞台を終えても僕はベートーヴェンのソナタを練習し、コンサートでも弾き続けている。始まりも然り。舞台稽古は新鮮だったが、その中で楽譜を見て演奏する作業、芝居の空気を感じて共演すること、まるで普段のリハーサルと全く変わらないその作業は「何かが新たに始まった」という感じではない。お陰で僕はとても自然体にこの仕事に取り組むことができた。

そして、さらに自然体にさせたのはこの言葉だった。

「BGMのように弾かないでください」

もちろんBGMはBGMとしての役割があり僕はそれをリスペクトしている。しかし、今回演奏したベートーヴェンのピアノソナタ。その音楽を知れば知るほどBGMとしての機能を果たさないことを痛感する。音楽にあまりにも多くを含んでいるのだ。要するに「一つの台詞」として存在してしまう。時にキャストとの共感の元で演奏されるが、音楽的主張、表現も強く要求される。

ピアノを舞台上に置いて演奏させる演出はその辺の意味も含んでいるのだろうか…?

普段のコンサートでは、ピアノは舞台中央に置かれ1人で2時間程度演奏する。よってNo.9でも舞台上に置かれ演奏し、思い切り表現するアプローチはある意味(さすがに舞台上手で弾いたことはなかったが)通常に近く僕にとってはやり易かった。

さて、長くなってきたのでそろそろ終わりにしたい、しかし色々と思い出してしまう…

稽古中、ベートーヴェンピアノソナタ「告別」を弾いてる時、白井さんが芝居の説明をしながら僕に指揮をして演奏を導いてくれたあの瞬間は忘れられない。白井さんの表情はもはや演奏家の表情でもあった。その瞬間周りは見えていない。しかし音楽、感情の中に身を投じそこでは様々な何かが見えている。彼はそこに居た。そんな表情を見せられながら指揮をされるとこちらも気持ちが盛り上がってくる。白井さんと僕の間に存在していた感覚はピアノ協奏曲のソリストと指揮者のそれと酷似していた。「共演」である。

様々な音風景を作り出し、柔軟なアイデアを提案してくれた三宅さんにも脱帽である。僕のようなクラシックを学んできた人間に多くあるのが「気付かぬうちに固まる概念」である。「〜であるべき」「普通ならこう」みたいに。三宅さんに提案された3台のピアノでの役割分担は、僕にとっては驚きと刺激に満ちていた。皮肉なものだ。ベートーヴェンは新たな時代の扉を開くべく、当時革新的な音楽を作り続けていたのに、それを勉強している僕は逆に頭でっかちになり固まってくる。また、三宅さんの温かで、時として勇気をもらう言葉にどれだけ支えられたか。稽古に三宅さんが来ると親がいてホッと子供のように落ち着く自分が居たのも事実。

中島さんは、東京公演千秋楽後の打ち上げでベートーヴェンについてじっくりお話しさせて頂いた。彼のベートーヴェンについての知識は半端じゃなかった。音大で講義してほしいくらいだ。これは決して過言ではないと断言できるのは、No.9不滅の旋律は、彼の知っている、感じているベートーヴェンの世界のほんの一部に過ぎないこと。だからだろうか、あの台本の奥深さ、説得力、含まれてい様々な複雑な感情。記されている台詞は何倍もの含みを有している。

そして、キャストの方々ともいろんな言葉を交わした。とにかく出来る限りのコミュニケーションを楽しんだ。

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最後に、以前ツイッターでも投稿した「No.9の隠された小ネタ」について。

ベートーヴェンがピアノの鍵盤を弾いてあーでもない、こーでもないのやってるシーン。そこで僕が担当している2つのピアノ。1台目は普通の和音を弾いてるが、2台目。小ネタを入れたのはそこ。
そこで僕は「右手の高音域でレファミ」と(2回確認してるように)弾いてるが、それはベートーヴェンピアノ協奏曲第1番ハ長調の中に一瞬出てくるパーセージ。本当に一瞬。1秒くらいだろうか。

しかしベートーヴェンは本当は「ファ#」を使用したかった(と言われている)。けれどそこがなぜ普通の「ファ」なのだろうか?それは鍵盤がファまでしかなかったから。曲が進み、後でもう一度同じ音形が出てくるが、その時はレとファ#の「音程幅」になっているが、変調し低くなっているので音が変わり、有る鍵盤で演奏可能。

そして、舞台開演直後流れていた交響曲は第1番、その時のプログラムはピアノ協奏曲第1番も演奏されていた。(記録に残っている)

あの時ピアノを調べていたのは、そのコンサートの翌日ということになっている。ベートーヴェンは本当はファ#を欲しかった。そしてピアノ工房にいたナネッテにこう言う。

「もっと音域の広いピアノはあるか?」と。

…そんな小ネタを入れた末永です。お許しください。中島さんには東京千秋楽後、ベートーヴェンとヨゼフィーネには小倉大千秋楽前夜にお伝えしました。

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僕にとって始まりもなく終わりもないNo.9-不滅の旋律-。それは僕にベートーヴェンをもう一度見つめ直し、進め、続けていこうと再度決意させてくれた。

あまりにも多くを学んだ今回の経験。全てがかけがえのない宝物。今ここにもう一度心から感謝したいと思う。

No.9-不滅の旋律-に関わった全ての人たち(仲間)に

第九直筆譜

舞台の最後ベートーヴェンが情熱的に指揮をしていたのを思い出します。ベートーヴェンは赤鉛筆で「f(強く)」と何度も書いています。
それだけ思いが強かったのでしょうか・・・