今年もありがとうございました。


2016年もあと少し。今年も大変お世話になりました。

思い返せば本当に多くの場で演奏させて頂きました。そして演奏だけでなく、レクチャーや審査、レッスンなど教育の場にも多くの機会を頂戴しました。常にそこには「出会い」があり、その場で伝えきれなかった感謝を今なお心の中に抱いています。

ただただ深い音楽の森を探索する日々。それでもその先に在る一点の光に手を差し伸べる情熱は消えず、むしろ膨らむのです。

しかし音楽は一人で創られているのではなく、日々の暮らし、いわゆる人生そのものが音楽を創ります。人、時の流れ、文化、いわゆる社会全体が、そしてそこで沸き起こる全ての感情が僕に影響を与え、形成し、ピアノというフィルターを通し音楽となって奏でられる。エドウィン・フィッシャーの「芸術と人生」にある数々の言葉を思い出します。

本当に多くの方々に支えられ今があるかということを思うと、感謝の言葉が見つかりません。

静かな新年をお迎えになられますよう心からお祈り申し上げます。

末永匡

レッスン後に残るもの

定期的に来ている門下で集まり弾き合う「Klassenstunde(訳:クラスの時間)」。ただ人前で弾くだけでなく、様々な言葉を交わす「ディスカッション」を設けては今一歩さらに踏み込みこんで互いに学び合う、そんな時間。

「半学半教(共に学び共に教えあう)」の意識、それは僕の恩師たちが常に持っていたものでした。学生時代レッスン後に先生が僕に「ありがとう」と言っていたことに当時とても驚いたのを昨日のように覚えてます。「今日もタダシから新しいものを学んだよ」と。忘れられない言葉の1つ。

昨日のレッスンではショパン、吉松隆、シベリウス、ベートーヴェンと続きましたが、やはり毎回のレッスンで新たな発見があります。僕が学んだこと、生徒が感じたこと、学び得たあらゆることをみんなでシェアしたい。シェアすることでさらに新たな気づきが生まれてくることも。

普段は立場上先生と呼ばれますが、本人の中ではそんな意識は正直言って全くなく、ただただ音楽が好きで、弾けるようになりたい、知りたい、感動したい、その興味一心で音楽を探求するただの一人の人間。レッスンでのチームワークで音楽の世界がさらに奥深く見えて広がる感覚は素晴らしいものです。チームワークだからこそ切り開けていけるもの。

学ぶって素晴らしい、音楽って素晴らしい。月並みな言い方ですがやっぱりそう。そんな気持ちにさせてくれる生徒さんたちに心から「ありがとう」を言いたい。在宅時には基本的にいつも誰かが来ますが、ドアを開ける瞬間、今日はどんな音楽の世界が見えるのだろう、ってわくわくするんです。

次回のKlassenstundeはどんな時間になるんだろう。 

※画像は昨年の時のもの。

ドイツ滞在記『ベルリンその6〜トイレを探せ〜』


不器用なスケジュール管理に甘え、ドイツ旅行記が2ヶ月も前のことになっていた衝撃的な事実に謝罪の言葉も見つかりません。このままでは年を越せないし、細々と続けているこのブログを意外にも読んでくださっている読者の方々がいらっしゃるのでちゃんと書こうかと。なんてグダグダと書いてるなら早く本文には入れっていう。

今回の渡独はベルリンでのコンサート、お城での滞在を始め、ベルリンから続く旅路を家族目線で書いていこうというのが主たる目的。前回は学生時代によく行っていたパン屋を家族で訪れたところで終わっていたかと。今回は…「トイレ」。

これは海外だからということではないかもしれませんが、日本だとコンビニやスーパーなどあらゆるところでトイレを見つけることができます。しかし慣れない海外の場合意外にもすぐには見つけられないものです。今回の旅行で特に気をつけていたのが「場所」と「タイミング」。場所はとにかく「大きな駅」と「デパート」。タイミングは基本的にトイレに行きたくなるならないに関わらず「見つけたら行く」こと。大人は多少我慢できますが、幼児は待ってくれません。カフェとかにもあるけれど時に衛生面で驚かれる子供達も多いかもしれません。まぁ、たくましくあれ、ということですが。それから小銭は用意しておいたほうがいいでしょう。チップ、または有料制のところも少なくありません。ホテルに着いたらまずは外出先(行動範囲内)のどの辺りにトイレがあるかを把握しておくと便利だと思います。ベルリンのように大都市になるとなおさらですね。

※画像はアレクサンダープラッツ駅。今回泊まったアパートから路面電車で南に10分程下ったところ。ここにもトイレ(有料)がありますが、駅前にはカウフホフと言う大きなデパートが。フライブルグにあるカウフホフは日本でいう西友くらいの規模でしたが、ここのは池袋西武級。ここのトイレもお世話になりました。

子供たちとの時間

今日は丸一日子供たちと一緒に過ごす日。好きなだけ遊び、僕の手料理を約束し、体力がある限り遊び続ける、そんな日。もしかするとこういう日は今年初めてかもしれない。もう少しで2016年が終わろうとしているけれど。普段はちょっとした合間に一緒に過ごし、もしくはコンサートに同行するなど、必ず何かあった。

「あと何回寝たら今日が訪れるか」遠足を待ちわびていた自分の子供時代と重なる。今日は仕事の連絡も、ピアノの練習も無し。しいて言えばちょいちょいFacebookに投稿したくらい。(返信を待っている方々には申し訳ありません…)

朝9時から寝るまで休みなしで遊び続けこちらは体力がもちません。しかしそれよりも色んな事が出来るようになっている様子に先日の音楽会同様、その成長に驚くばかり、そして妻に感謝するばかり・・・。


最後は寝る直前までレゴで遊び、今日という日が終わってほしくないという名残惜しさまで表情からうかがえました。いざ布団に入れば妻の読み聞かせもぎりぎりの集中力で聞いてはすぐに眠りの底へ。

決して大げさな話ではなく、今日という日がもう二度と訪れないと思うと、時の経つ早さに何とも言えぬ苦しさを覚えるのです。今日まで想像以上の困難な道のりがあったけれど、想像以上の感動があったのも事実。そしてそれ以上がこれからの未来に待ち受けているのだろうかと安易に想像するのです。

少し話はずれるけれど、ピアノから離れるってとても大切。そう言えば以前某コンクール審査後、舞台で「ピアノから離れてください」って話をしたときにキョトンとした空気があったけれど、その意味が少しでも解ってもらっていたらいいなぁなんて思い出したり。

家族全員が歌い演奏する

コンサートを終え生姜湯でホッと一息な今、今日のことを振り返る…

待ちに待ったコンサートの1つ「幼稚園の音楽会」がありました。自分の娘たちが通う幼稚園の音楽会にゲストとして妻と一緒に出演。子供達はそれぞれのクラスの発表の場でもあり、結果家族全員が舞台に立つという珍しいイベントとなりました。もちろん主役は園児たち。素晴らしい合唱と演奏を聴かせてくれました。お母さんお父さんたちも最後の音まで真剣に耳を傾けその場にいた全員が1つになって音楽を楽しんでいた、そんな温かい時間。同時に末永もピアノソロでは笑顔無く真剣に演奏しました。楽しいだけでなくこういう奏者の厳しい空気感も小さい子供達には体感として必要かと。

終演後、園長先生と幼児教育の重要性、その難しさについて言葉を交わし、先生から耳にしたいくつもの言葉が心に響きつつも重く身が引き締まる思いに。

子供達の歌っている表情、楽器を手に持って真剣に指揮者を見つめる表情、その一瞬一瞬の全てが胸を打ちます。入園時に不安を抱いていた親の気持ちも、自分の子供の初舞台を目の前にその成長ぶりに感動し、年中はそれからさらに一年経った成長に頼もしさを感じる。年長の演奏となるとあまりに高い完成度に我が子でなくとも我が子の成長を思うように感動する。

素晴らしい音楽を「ありがとう」その一言に尽きます。先生方にも保護者の方々にも…。



そういえば「だんだん小さく」の時…

妻「さ〜て、何が小さくなるのかなぁ?もしかするとここにいる誰かが小さくなっちゃうかもよ〜」

園児たち「えー!!」

…可愛いなぁ。そしてこの曲、変な曲ですね、とても好きだけど。



さて、コンサートプログラムもひと段落し、今後は少し雰囲気を変えてガーシュウィンやドビュッシーなど。2台ピアノ、サックス、ダンスなどと一緒に。こちらも大変楽しみです。

今日のレッスン

シューベルトのソナタ。一瞬の輝きにこれ以上ない愛を与えてくれる音楽の連続に時間を忘れただただ虚空を見つめては胸を苦しくする、そんな時間にあふれた今日のレッスン。

生徒が弾いている時、外では何一つ無い空を見上げる木々が風に揺れている。鳥がさえずり、それはまるでシューベルトを聴いているかの様。

柔らかな陽射しが静かに照らすこの小さな街の一角にシューベルトのソナタを味わう2人がいる。

言葉以上に多くを語り合う限られた空間と時間。そんなことを思った今日のレッスン。


音楽を導き、世界を創造するベヒシュタインというピアノ


所沢市民文化センターミューズ「マーキーホール」

先日、所沢文化フォーラム主催「末永匡ピアノリサイタル」を終えました。1つ1つが手作りで温もり溢れるコンサートは所沢テイストと言えるかもしれません。コンサート会場は所沢市民文化センターミューズのマーキーホール。800の席数の割に距離が近く感じるのが特徴です。所沢という場所(そこそこ気軽に都内へ出れる)ゆえにありそうであまりない地元でのコンサート。スタッフの情熱によって支えられた企画であり、その後ろ姿に身も引き締まる思いで舞台に立たせて頂きました。

ミューズは全部で3つのホール(キューブ、マーキー、アーク)があるのですが、今回のコンサートで全ホールでの演奏を達成したこと、そして地元であることに格別思いもこみ上げるわけです。


調律師の加藤正人氏と

さて、もう一人の主役は楽器を第一回の時から提供くださっている「(株)ユーロピアノ」​​様。ベヒシュタインピアノと、それに命を宿す調律師の加藤正人氏。「楽器と技術者と演奏者」の三位一体で創られる「音」。何度もコンサートでご一緒させて頂き、耳を傾け、言葉​​を重ねては多くの時間を共有した調律師の加藤正人氏、そしてベヒシュタインピアノ。

BechsteinD282

使用した「BechsteinD282」は数年前に東京芸術劇場で東京都交響楽団とベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏した際に使用した以来の久しぶりの再会。日本にはまだ1台しかなく当時、協奏曲で使用されたのも日本では初めてでした。オーケストラも指揮者も観客もBechsteinD282で演奏された皇帝の「響き」を初めて耳にしたわけです。普段よく耳にしている響きと違うもので困惑された方々も多かったと聞いています。「違うもの」を味わえる、楽しめる「心」、そのきっかけを今の日本に与えてくれるベヒシュタインというピアノ。ドビュッシー、リスト、スクリャービン、ビューロー、フィッシャー、ギーゼキング、リヒテル、バックハウス、ケンプ、ゼルキン、カツァリス、シフなど、簡単に思いつくだけでも錚々たる名前が挙がるベヒシュタインを愛した偉大な芸術家たち。

リハーサルの音創り

今回の音楽的な面は「ベヒシュタインに支えられた」の一言に尽きます。均一化されていない各音域は様々な音色を与えてくれます。しっとりとレガートを効かせるクラリネット、キラキラと遠くから聞こえてくるフォルテピアノを彷彿させる高音域、人の声のように語るチェロ、全体をそっと支えるティンパニなど、それはオーケストラの様。タッチを変えればもっといろんな楽器が現れ、自然を感じる音も聴こえてくる。あまりにも繊細な音色は豊かで多様な想像の世界に僕らを簡単に連れて行ってくれる。そして、綺麗な音だけでなく「耳を塞ぎたくなる様な雑味を帯びた音」「何も表現されていない無機質な音」などその幅がとにかく広い。美音だけでなくその反対も表現の中には必要です。

今回のコンサートで「楽器との対話」を強烈に感じました。「おいおい、まだやれるぞ?もっといろんなタッチで弾いてみろ、俺が出してやるから」という反応を楽器から「本当に」感じました。熱情の最後は演奏者側が興奮して弾いていてもどこかでドンと構えて「もっと来い!」と言ってきた感じもあります。となると自然と笑みがこぼれるわけで…(笑)リストのオーベルマンやバラードはもはや指揮者になる感覚にも。そこに他の楽器はいないのになぜかそっちから聞こえてくる感覚になり、顔を向けていたり。楽譜に記されていることを弾いているのですが、同時に音楽が「即興的に」生まれてくるのです。練習していたのとは全く違う姿で…

ショパンやシューマンなどで印象深かったのは「弱音」。「限界に挑戦」という浅はかな気持ちではないのですが、やはり反応してくれる楽器だと響きのさらなる細部まで手を伸ばしたくなります。ベヒシュタインにおける弱音の世界はもはやオリジナルの世界が創られています。僕が弱音を出すのではなくて、導かれるかの如く弱音が生まれるのです。

また、何よりも驚くのは800席あるホールの3階最深部までその弱音が「響きを損なうことなく」行き届くこと。空間と楽器の相性があるのもポイントです。所沢ミューズ「マーキーホール」はベヒシュタインが最高に合っていると言えます。以前世界的ピアニストのリフシッツが、今回使用した同じピアノBechsteinD282を使ってバッハの平均律全曲演奏会をした時も聴衆側にいた僕は同じ感覚を抱きました。本人は神経質になっていたと終演後楽屋で話した時に言っていましたが。マーキーホールは基本的に演劇用なので響きが若干少なめですが、だからこそ楽器の持つポテンシャルが発揮されるのかな、とも。絶妙に音色の細部まで裸にされたものが客席に届く空間、しかし演奏者側にしてみるとある意味怖いことでも…。

最後に、誤解も招かないためにもこれだけは特記したいと思います。全てのピアノがベヒシュタインになってしまうと、それはそれで面白くありません。「多種多様のメーカーに触れられる環境、響きを体感できる環境」それが音楽をさらに面白くしてくれるのです。いつも同じメーカーで同じ響きを聞きたかったらCDを聞いていればいい。確かに演奏者だけでも変わると、同じピアノでも信じられないくらいに音楽が変わります。しかしそれだけではありません。そこにもう2つの大切な、大切な存在が音を創っているのです。「楽器と技術者」です。彼らも同じく「音楽芸術の創造を担っている」のです。

「多様性の中にこそそれを感じ取ることのできる心が育まれる」そんな言葉を思い出しました。

ベヒシュタインピアノ、今回僕らはどれだけの言葉を交わしただろうか。楽器に感謝し、技術者に感謝、企画してくださった関係者に感謝して、ご協力くださった方々に感謝、多くのお客様に感謝し、「感謝に溢れる時間」を地元で持てたことが本当に嬉しく思います。本当にありがとうございました。