世界で繋がる音楽仲間


アメリカから来日中の音楽家と素晴らしい時間を。
クラリネット奏者の伊藤優美さんとピアニストのシャムス氏。

伊藤さんはアメリカを拠点に世界的に活躍しているクラリネット奏者。
信州マルメロ音楽祭の芸術監督も務められ、精力的に活動されています。
エジプト人のシャムス氏も伊藤さんと同じくアメリカを拠点に国際的に活躍しているピアニスト。

「伊藤優美❄︎CLARINET OFFICIAL」

「エジプト」をきっかけに繋がりが生まれ大きな輪となり、音楽という共通言語で語り合う。
近い将来の音楽ビジョンを共有したり。

中野氏に最大の感謝を込めて…
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レッスン

懐かしい写真が出てきた。

恩師ライグラフ先生にレッスンを受けている時のもの。曲目はベートヴェンの皇帝。先生の鳴らしたオーケストラパートの豊かな響きは今でも忘れることはない。先生の言葉、音、動き、全てを鮮明に覚えている。

「学びたい」その一心だった。

あって当たり前でなく、ずっと続くものではないレッスンというもの。その一瞬を逃すと次はない。

必死だった。上手くなりたい、盗みたい、何が何でもそれをものにしたい。レッスンの時間、全身から神経が触手のように伸びて、全てを吸収しようと集中していた。

なぜなら次はないと思っていたから。

僕の師事した先生は5人中4人がすでに亡くなっている。先生ならなんて言うだろう?先生ならどう弾くだろう?レッスンでは体感していた先生の音楽的なエッセンスも今となってはどんなに欲しようと手にすることは出来ない。

レッスンは在ることが当たり前でない。音も言葉も先生という存在も。

以前、とある高校生がある日突然連絡をくれた。勇気を持って本人が連絡してきたのを、その文面や声から強く感じた。同じような中学生もいた。一回のレッスンのために地方から時間とお金をかけてドアを叩きにくる。彼らは必死だった。

人から教わるという奇跡の時間。一回一回が輝いている。レッスンには感動がある。音楽に触れる瞬間、琴線に触れる瞬間、理屈を超えて揺さぶられる心。

レッスンだけじゃない、練習だって、本番だって次はない。その瞬間に命を与えることができなくては、過ぎてしまった時は戻せない。

今年の上半期は「考える」ことに重点を置いていた。教育のこと、人生、音楽を静かに考えた。そして家族との時間を大切にし、本を読み、自分の感覚を客観的に見つめていたりした。僕は器用な方ではないので、バタバタと忙しくなるといろいろなことが雑になる。そのせいでどれだけの人たちに迷惑をかけたか。今このブログを書きながら、ピアノの部屋からクラリネット奏者の妻が練習するブラームスのクラリネットソナタ第2番第1楽章のコーダがうっすらと聴こえてくる。なんて素敵な音楽なんだろう。なんて素敵な時間なのだろう。

まるで新しい旅が始まるかのようにレッスンが始まる。僕の小さな経験がもし少しでも役立つのなら僕は全てを捧げます。


追記: 今、僕の教育経験をまとめた「ACT」と称する「学びプログラム」を作っています。
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この一週間


7月30日のレクチャーコンサート以降、怒涛に過ぎた今日まで。

京都でPTNAのコンクール審査、その後プライベートで生徒と行なっている「ゼミ」と称する少人数制のレッスン(単なる公開レッスンとは違います)、大学の前期実技試験審査、浜松町ではベヒシュタインピアノを使った特別レッスン、夏期講習、2台ピアノのコンクール審査など、レッスンと審査に明け暮れていました。

本当に多くの演奏を聴きました。

人から言われたことをそのまま棒読みするのではなく、自身の言葉となって語る音楽はレベルの差は関係なく心にグッとくるものです。
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